after glow
編集後記09










 西陽が差し込む線路沿いの道を歩いていたら、小さな無人駅に辿り着きました。
 高知県の清流・仁淀川のほとりに投宿した時のことです。
 香川から発して徳島を抜け、高知へと至るJR土讃線の波川という駅----僕はこれをずっと「なみかわ」と読んでいたのですが、どうやら「はがわ」と読むらしいです。
 ちょうど下校時間だったものか、白いワイシャツに黒いズボン、あるいは紺色のスカートをまとった中学生達が、背中を赤く染めながら自転車で行き交っていました。

 僕が生まれ育った新潟のとある村の駅も、ちょうどそんな風に西陽が差し込む、うらさびれた無人駅でした。
駅前には小さな本屋があり、毎週、一日遅れで届く「週刊少年ジャンプ」を立ち読みするのが楽しみでした。
 その斜め向かいにあった駄菓子屋では、仲間達とガムを万引きして捕まりました。
 学校を出てすぐに上京し、以来、僕はその村に一度も帰ったことがありません。
 きっとあの駅も、変わることなく今も夕陽の中に佇んでいるのだろうなあと、僕はその村から千キロ以上も離れた四国の街の片隅で、そんなことを思いました。
そんなことを思ったら、鼻の奥がつんと来て、視界が霞んで、目の前の小さな駅がちょっとだけぼやけました。

 僕はずっと、郷里を、家を嫌ってきたし、それはこんな仕事をするようになった今も、残念ながらあまり変わりません。
 だから、ふるさとを誇るだとか、故郷に錦を飾るだとか、愛する家族とか帰るべき我が家とか、そんな言葉----概念に対して、僕は強い憧憬と羨望こそあれ、リアルな思いとしてそこに寄り添うことは、今もってうまくできません。

 結局、何ひとつ変わっちゃいない。
 色んなことを、まあそれなりに経験して、必死で背伸びをし続けて、ちょっとは成長したような気にもなったりして、でも結局のところ、あの小さな駅のホームにぽつんとひとり立ち竦んでいた小さな頃と、今の自分と、何ひとつ変わっちゃいないのだと、そんな風に思いました。
 変わらないって、結構大切なことだと思うし、それなりに格好よいことだとも思うけれど、それはそれで案外、淋しいことなのかもしれません。

(2003年9月1日発行「TALEMARKET vol.9」編集後記より)




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