after glow
編集後記(22)




 最近ようやく、写真を撮れるようになりました。これまでも物理的に撮れなかったわけでは決してないのですが、結果としてこの1年、僕はほとんど写真を撮ることができずにいました。主に心的要因から。
「回復」した具体的かつ直接的なきっかけは二つ。一つはデジタルカメラをやめたこと。押入の奥から愛用のニコン製マニュアルカメラを引っ張り出し、久しぶりに使ってみました。構図を定め、絞り値とシャッター速度を決め、ピントを合わせ、息を止めてシャッターを切る----マニュアルカメラに求められる眼線のシャープさには、デジカメにはないピリリとした緊張感があります。眼と手を使って「写真を撮ってるんだ」という実感のようなものがある。
そしてもう一つは、スーツを脱いだこと。と言っても、今の僕は仕事柄どうしても着なければならない立場にあるので、以前のように自由奔放な(過ぎる?)恰好で歩き回ることはできないのですが、それでもたとえば旅に出る時、どんなに重かろうと荷物が多かろうと、必ず私服を持っていく。ネクタイ締めて式典に来賓出席し、祝辞を述べて(原稿棒読み)、お偉いさん達に混じって世俗的な話題(酒とかゴルフとか女とか)に愛想笑いを振りまく。それはそれでよい。お金もらって演ってることだし。
 でもひとたび終わったら、トイレだろうが車中だろうが構わずソッコー着替えます。でもって、カメラぶら下げて歩き回る。たかがスーツ、されどスーツ。アレは間違いなく個を「封じこめる」ものです。病気になります。着ているだけで、写真なんか撮れなくなってしまうんだもの。本当に。
 デジカメにしてもスーツにしても、単なる「気分」の問題だと思われるかもしれません。でもたぶん、こういう即物的というか具体的というか、そんな一つ一つの積み重ねが、実は大局を決定しうる重要なファクターなのだろうなぁと、最近は思うのです。結局のところ人は、そういうささやかで小さな具体的事象を積み上げてゆくしかなくて、即効薬とか近道とか、そういうものはないのだろうと。
 ある人がそれを聞いてしみじみ「大人になったねぇ……」と言っていました。
 そうなのかな。

(2005年4月29日発行『TALEMARKET vol.22』より)




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