after glow
編集後記(23)




 つくづく、雑誌といのは「生き物」なのだなぁと痛感しています。作り手のメンタリティがこんなにもヴィヴィッドに現れるメディアは、他にはないかもしれません。

 久方ぶりに、月刊周期でテルマをお届けすることができました。実に一年ぶりのことかな。先月この欄で「写真の感覚が戻り始めた」と書きましたが、どうやら文章についても同じようで、こちらはやや遅れて来たものの、ようやく「書きたい」というプリミティブな欲求が再び胎動し、言葉に変換され始めた実感があります。
 手前味噌で恐縮ですが、前回と今回のテルマは、かなり完成度が高いと思う。モチベーションの高さがよく現れているというか。今の環境下では、このレベルが僕にとっては精一杯のハイ・アベレージであるような気がします。それはすなわち、この内容でご満足いただけない方は、今後定期購読を続けられても、多分に失望してしまう可能性が高い、ということでもあるのですが……。

 それはそうと、今月からやや唐突に始まった感のある『列島妖怪紀行』(10P)いかがだったでしょうか? 実はここ数年、「妖怪」というものにかなり魅せられています。そう遠くない昔、この列島に暮らしていた人々は、万物に魂が宿っていると考えていました。木には木の、石には石の魂がある。そうしてその木や石は、夜になって人間が寝静まる頃、話し始めたり踊り出したりしているのかもしれない----。そんな想像力こそが、妖怪の源のようです。
 たとえば真っ暗な夜道を歩いていると、何となく薄気味が悪くて急ぎ足になる。でも足がもつれて、思うように前に進まない。そんな時、足にまとわりついているのが「すねこすり」という妖怪。
 つまり妖怪とは、自然の中に何かしら霊的な興味やリスペクトを抱きながら暮らしてきたこの列島の土着の人々の、素晴らしきイマジネーションが収斂し具現化した一つの文化だと感じるのです。
 物質的な見方しかできない人間には、恐らく妖怪の存在は「見えない」(感じられない)のでしょう。でも、この世界は必ずしも眼に見えるものだけでは完成しない。見えない世界を信じないよりは、夜の街の片隅や森の奥深い処で、妖怪たちが喋ったり踊ったりしていると感じる方が、世界はより深く、面白くなると思うのです。……水木しげる先生の受け売りですが。

(2005年6月6日発行『TALEMARKET vol.23』より)




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