after glow
編集後記(27)




「私は、ことし三二歳である。日本の倫理においても、この年齢は、すでに中年の域に入りかけたことを意味している。」
 太宰治32歳。「青春への訣別の辞」として、『東京八景』という私小説をしたためたのは、1941年のことでした。
 先日、書棚を整理していた時、ふと目に留まった一冊の短編集。学生の頃、それこそ「はしかのような」熱に浮かされ、貪るように読んだ"DAZAI"でした。
「あいつも、だんだん俗物になって来たね。そのような無知な陰口が、微風とともに、ひそひそ私の耳にはいってくる。」(『東京八景』)
 そうか太宰は俺と同い歳にしてこの作品を書きあげたのか……と、だからといって何の意味もあるわけでなし感慨に耽りながら、頁を捲っていたところ、次のような文句が----。
「覚えておくがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。もっともらしい顔の三十男である。」
 ……これはいけない、いただけませんよっ太宰先生!
 およそ年齢なんぞというものは、この世界においてもっともあてにならない座標軸だと、僕はそう思っています。大体からして、人間寝てたって歳なんか食えるわけで。
 昔、何処かで誰かがこんなことを言っていたのを、憶えています。
 曰く、人間には三度の青春がある、と。
 最初は10代、二度目は30代、三度目は60代(50代だったかな……)。
 最初の青春は、すべからく万人に訪れる。そりゃそうだよねピチピチの十代なのだもの。二度目は「30代が第二の青春なのさっ」と自覚している人にのみ、訪れる。ふむふむ。そして三度目は、"30代の青春"をちゃんと謳歌した人のみが体得できる。なぁ〜るほど、上手いこと言うねって感じですが、これはなかなか良い言葉だな、と思います。(ただ、この話を40代以降の方にする時は、若干の配慮が必要である、と最近気づきましたが)
 僕はあと2か月ほどで、太宰『東京八景』の歳を呆気なく過ぎてしまいますが、いつまでたっても世に出る目処はたたず、さしたることも成しておらず……。
 そういえば先ほどの一文。自分に向けられた「無知な陰口」に対して、太宰は心の中でこう答えるのです。
「僕は、はじめから俗物だった。君には、気がつかなかったのかね。」

(2005年11月14日発行『TALEMARKET vol.27』より)




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