Meet Earth
地球に触れている人達と出会う旅05


広島県竹原市








 最初に異変が起きたのは、西の山だった。
 立ち登る煙を、ふもとの人たちは、季節外れの焚き火か何かだと思った。が、小さな炎はまたたく間に広がり、山を燃やした。
 広島県の中央部、竹原市の小吹地区は、四方を山に囲まれた谷あいにある。
 1994年8月11日。
 折悪しく、台風が近づいていた。炎は風に乗り、谷を越え、東の山へと飛んだ。
最初は物見遊山だった人たちも、顔色が変わった。
「みるみるうちに谷が煙でいっぱいになりましてなあ。まるで燻されとるようなもんですわ。みんながタオルで口ふさいで避難しました」
 小吹地区に住むSさん(73)が言う。
 鎮火したのは8月20日。焼失面積378ヘクタール。全国でも類を見ない大規模な山火事となった。
「家がのうなってしもうた。まあ命あってのものじゃけん言いながら、みんなでとぼとぼ帰りました」
 そのとき見た光景を、小吹の人たちは、おそらく一生忘れない。
 黒く焼け落ちた四方の山。鮮やかな緑の林。緑の林? そして家は----。
 家は、残っていた。
 山を駆け下り、谷に迫った炎を瀬戸際で防いでくれたのは、長い歳月、この地に根を張り笹を繁らせてきた、多くの竹林だった。
不幸な竹

 幼い頃、家の近所に小さな竹林があった。
「地震が来たらあそこに逃げろ」
 そんなふうに教えられて育った。
 竹は地中の縦横深くに根を張り巡らせるので、地面が強固なのだと。
 でも、どうやらそれは間違っていたらしい。
 今、全国にある竹林のほとんどが、「孟宗竹」という品種だ。これは中国原産の竹で、幹が太く、立派なタケノコが生える。40年ほど前から日本に導入され、全国各地でさかんに植えられた。タケノコを取るためだ。
 当時はまだ、タケノコが高値で取り引きされていた。
 けれども、やがて中国や台湾などから安価なタケノコが輸入されるようになった。
 核家族化が進んだせいか、タケノコを1本買って、いちいちアク抜きをして、炊き込みご飯にしたり煮物にしたりする家庭も少なくなった。
 価格が下がり、おいしいタケノコは、おいしい商品ではなくなった。
 かつてあれほど熱狂的に植え替えた竹林から、人の足は遠ざかり、手もかけられなくなった。
 放置された竹林は、まるで人の身勝手な振る舞いに復讐するかのように、どんどん根を伸ばし、山を覆い、里に浸入した。
 竹の根は1年間に10メートル近くも伸びる。おまけに生育も早い。
 春先、雨で畑に出られない日が数日続いた後、畑に行ってみたら、地面を割ってあちこちから竹が飛び出していた、なんて話も聞く。
 実は孟宗竹の根というのは、地表付近を這うように伸びていく。つまり、根が浅いのだ。土壌がもろくなって、ちょっとした雨でも崩れるようになる。(日本に古くからある真竹や破竹は、そうではない)
 地震など言うに及ばず、なのである。
 生育が早いから、他の樹木の養分を奪う。山の植生が単一化する。微生物や虫、動物などの生態系も単一化する。
 各地の湖や沼、池などで、放流された外来魚が日本の在来魚を食べ尽くし、自然の生態系を崩す----まるでそんな構図なのだ。
 今や竹は、すっかり悪者扱い。
 でも、悪いのは全部が全部、人間なのだけれど。

幸福な竹

 風がやってくる。
 さわさわと笹を揺らし、近づいたと思うと去ってゆく。
 遠くでウグイスが鳴いている。まだ若鳥なのか、その声は幼く、
「ほおぉぉぉ……ほきゅっ」
 何度も何度も鳴いてみて、6回目くらいにようやく「ほけきょう」と言った。
 そういえばウグイスは笹の薮に巣を作るんだっけ。そんなことをぼんやり考えていたら、Sさんがやってきた。今年61歳。生産者の中では「若手」だと言って苦笑した。
「去年じゃったら、もうあちこちにトンボが出ておったんじゃけんどなあ」
 トンボとは、タケノコの先端部分のことをいうらしい。
 秋の少雨、長い冬のせいで、今年はかつてない不作だと嘆く。
 確かに、どこを見渡してもタケノコなんか見あたらない。
「ああ、ここにあるな」
 不安になってキョロキョロしている僕を尻目に、Sさんが呟いた。
 肩に担いでいた鍬を、ゆっくり、ていねいに土に入れた。しばらく掘っていると、果たせるかな、クリーム色をしたタケノコの子どもみたいなやつが顔を出した。陽光を受けて、まだ早い目覚めにちょっと不機嫌そうな感じだった。
 タケノコというのは、出てきたやつを掘るだけの「おこぼれ」農業みたいなものかと思っていたが、そうじゃない。
 竹林には年に5回も肥料を施し、5年ごとに間伐をして良い竹を残し、その1本1本に「芯止め」をする。芯止めというのは、養分を根に集中させて大きなタケノコを育てるために、竹の先端を切り落とす作業のことだ。長い棒の先に取り付けた鎌で、1本1本、竹の先を落としていく。切っ先が自分めがけて落ちてくるので、なかなか危ないらしい。
 傾斜で、そこここに竹が生えているものだから、管理も収穫も機械化できず、すべて手作業だ。
「わしらはタケノコを“作っとる”んです」
 Sさんが言った。
 手がかかるばかりで、実入りの少ないタケノコ。跡継ぎはいない。
 それでも、Sさんは竹林に通い続ける。「悪者の竹」の話をしようかと思っていたのだけれど、やめた。
「みんな体が痛うても、タケノコの時期になったらよう動く言いますわ」
 この日掘り当てた6本のタケノコを見下ろして、そう言った。
 向こうの薮で、ウグイスが鳴いた。
 かつて谷を守った竹の子孫たちは、今年も静かに土の中で春を告げた。

(2004年5月1日発行『TALEMARKET VOL.05』「竹の恩返し」より)




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