Sketch Notes02
旅の雑記帳


山口県萩市








 それは駅舎というより作業小屋のような、あるいは公衆便所にも似た、小さな小さな駅だった。
 山陰本線戸田小浜駅。
 日本海に面した島根県の西端、益田市からローカル線で一駅。
 線路沿いの道をてくてくと歩いていると、その駅はあった。
 ガタガタと引き戸を開けて中に入ると、待合室は六畳一間ほどの広さで、ひんやりと湿っていた。ベンチはなく、人もいない。漆喰の剥げかけた壁に大きな時計がかかっていた。
 運行表を見上げると、二時間に一本程度。運良く二〇分後に、山陰本線下り長門市行きが来るところだった。
 けれども切符を買おうにも、券売機が見あたらないのだった。駅員さんもいない。仕方なしにそのまま奥の戸を開けて、ホームに出た。
 中休みを決め込んだ梅雨空は抜けるように青く、朝、ホテルのテレビで見た天気予報では、山陰地方の今日の気温は二十九度----。あぁ暑いと、こぼす相手でもいれば少しは紛れそうなその暑さも、一人っきりだと言うほど暑くなりそうで、黙りこくり所在なくホームに立つ。
 じりじりと照る日差しから逃げるように、庇の下へ移動した。煙草を吸おうと取り出して、空っぽの中身に舌打ちし、くしゃっと潰して傍らにある錆びたゴミ箱に放り投げた。
 どおーん、どおーんと、さっきから遠くで響いているのは、波の音らしい。ホームからは見えないが、松林の向こうに日本海がある。間断なく届くその音は、無人駅のホームでぽつんと一人聴いていると、何やら得体の知れない不安に襲われて落ち着かないのだった。
 腕時計を見たり、空を見上げたり、ホームの際まで行って何となく線路を覗き込んだりするが、荷物が気になってすぐに戻る。挙動不審の男なのである。
 そもそも、汽車は来るんだろうか?
 不安に駆られてもう一度、時刻表を確かめようと待合室まで戻りかけた時、たたんたたん、と車輪が線路を漕ぐ音が聴こえてきた。
 ほどなく到着した汽車は、一両編成のワンマン列車。「後乗り前降り」と書いてあるので、重い荷物を肩に担ぎ、急いで後ろから乗り込んで乗車券を受け取った。バスみたいだ。
 一番後ろの座席に腰を下ろし、荷物を置いてほうっと一息つく。が、すぐに思い立ち、反対側の座席へ移る。たぶん、海が見えるのはこっちだ。
 乗客は数人。座席に両足を放り出して座っている老人。同じ顔に同じ眼鏡をかけ、同じくらい恰幅のよい母と娘。鞄の中から何やら取り出し、もぐもぐ食べているおばちゃん。それに早くも真っ黒く日焼けした坊主頭の高校生三人。真っ黒い顔をくっつけるようにして、互いの携帯電話を覗きながら喋っている。学校は終わったのだろうかと思い、そこで初めて今日が日曜日であることに気づいた。
 部活動を終え、仲間達と買い食いをし、家に帰る途中といったところか。互いの身体を押したりつついたりしながら、何だかとても楽しそうだ。
 もしもいま僕が、これまでの人生で一番辛かった時期は?----と人から問われたら、一も二もなく彼らの年齢の頃を挙げるだろう。朝も夜も休みもなく、毎日毎日バスケットボールを追いかけ回していた。休日の朝、陰鬱な気持ちで練習に向かうちょうどこんなローカル線の車中で、「このまま事故にでも遭っちまえばいいのに……」と何度も思ったものだ。当時、僕たちの監督は「鬼の丸山」と呼ばれる県下でも名の通った猛将で、身長百九十センチにゴリラみたいな手を持った、それはそれは恐ろしいおっさんだった。秋田の「なまはげ」を百二〇倍くらい怖くした感じ。おまけに何をどう間違ったのか、当時キャプテンなどという分不相応の役を負っていた僕は、「なまはげ百二〇倍」の「ゴリラパンチ」を最低でも日に三度はくらい、いつも体育館の裏で吐いていた。バッシュの紐は鼻血とか汗とか涙とか反吐とかで、とっても芸術的な色になっていた。いま思い返しても、背中に嫌な汗が滲む。
 汽車は西に向かって走っていた。

 車窓に真っ青な海が広がった。
 東萩の駅で汽車を降り、駅前のレンタサイクルで自転車を借りた。
 山口県の北東部、日本海に面した萩市を訪ねるのは、これで三度目である。山陰の小京都とも呼ばれ、津和野と並ぶ観光地として知られる土地だが、実はこれまで一度もゆっくりと歩いたことがなかった。
 長州藩の毛利輝元が萩城を築き、二六〇年間にわたって栄えた城下町。橋本川と松本川に囲まれた三角州一帯が城下町というのも、全国であまり例がない。
 聞けば、萩は今年ちょうど開府四〇〇年を迎えるそうだ。毛利藩三六万石の城下町には、今も江戸時代の家屋敷が当時の面影をそのままに残しているという。
「萩はのぅ、日本で唯一、江戸時代の絵地図がそのまんま使える街なんじゃ」
 貸し自転車屋のおっちゃんが言った。錆びた自転車が並ぶ狭い小屋で、ドラム缶の椅子に座って煙草をふかしながら、おっちゃんの萩史開陳を拝聴する。
「秀吉が死んでのぅ、日本中が東と西に分かれて喧嘩した時、毛利輝元は西軍の総大将じゃった」
 日本史に滅法弱い僕に、おっちゃんはわかりやすく説明してくれるのだった。でも、西軍の総大将って石田三成じゃなかったっけ----? おっちゃん、基本的に質問は受け付けないタチらしい。
「結果は知っての通り、ボロ負けじゃな。その頃、毛利輝元は日本で三番目に多いロクダカで、一二〇万石持っとったんじゃけど、それが三六万石にゲンポウされてしもうた。まぁ、相手があの策略家の家康じゃから仕方ないっちゃ」
 ロクダカ----禄高。ゲンポウ----減封。とっても勉強になる。
「けどのぅ、関ヶ原の借りは二六〇年後にきっちり返したんよ。薩摩と手ぇ組んで徳川の天下に終止符打ったのは、萩で育った明治のゲンクン達じゃからな」
 ゲンクン----元勲? おっちゃん、割かし難しい言葉を使う。
 萩は、吉田松陰や高杉晋作といった幕末の志士達が、若き日、互いに夢を語り、策を練り、志を遂げんと立ち上がったまさにその地である。鼻の両穴から威勢良く、んふーっと煙を吐き出しながら、おちゃんは得意満面で語るのだった。
 さて----。
 歴史講釈はこれくらいにして、まだ話し足りなそうなおっちゃんのもとを辞去。カメラ片手に自転車跨り、城下町散策としゃれ込むことにする。
 普段はぶらぶら街歩き、足の向くまま気の向くままに路地裏巡りの写真旅だが、今回はちょっと違う。ペダルを踏んでシャーッと風切り、流れる景色が心地よい。
 江戸時代の絵地図をそのまま当てはめたツーリングマップを眺めつつ、ふむふむこっちが城下町かとわかったつもりで三〇分----。
 おかしい。
 行けども行けどもそれらしい場所に行き着かないのである。
 仕方なしに自転車を止め、乳母車を押して歩くおばあちゃんに訊ねてみたら、「あっちじゃよ」と教えてくれたのは、見事なまでに今来た道。
 真逆の方角なのだった。
 久しく乗っていなかった自転車の爽快感に、すっかり失念していた。自分の頭のネジが、明らかに一本欠けていることを。
 僕はものすごい方向音痴なのである。

 夏みかんの木が生い茂っている。
 土塀に白壁、なまこ壁、漆喰壁に生け垣が、数百メートル先までずうっと続いている。
 上りの坂道、向かい風、重いペダルを踏み込んで、ようよう辿り着いた萩の城下町は、江戸時代の絵図そのままに、碁盤の目をした小さな横丁が縦横に入り組んでいるのだった。
 かき氷屋の店先に自転車を置かせてもらい、「いちごミルク」の暖簾に後ろ髪を引かれつつ、ぶらりぶらりと横丁歩き。
 木戸孝允生家や青木周弼旧宅などが居並ぶ「江戸屋横丁」。隣の「菊屋横丁」は、豪商・菊屋家住宅に高杉晋作誕生の地、総理大臣を務めた田中義一の碑。
 松本川を東に渡れば、松下村塾や伊藤博文の旧宅、毛利家の菩提寺である東光寺。藍場川まで足を延して、旧湯川家に桂太郎旧宅、山県有朋誕生の地----国が指定する文化財だけでも四〇余り。角を曲がるたびに、そうそうたる歴史上の人物と出合うのである。
 それにしても----。
 尻が痛い。
 慣れない自転車に、必要以上に跨っていたせいだろうか。どうにも尻が落ち着かないのだった。 
 初夏の陽差しが強かった。日陰の壁際を寄り添うようにして歩く。民家の軒先に咲いた紫陽花の花は、晴天の空にひどく不似合いで、狂い咲きのようだった。
 時折漂う甘い匂いは、夏みかんの花。
 そういえば萩は、夏みかんが有名なのだ。明治維新の直前、藩庁が萩から山口へと移された際、萩では多くの武士が職を失った。そこで当時、苦肉の策として奨励されたのが、この夏みかん栽培だといわれている。武士の没落とともに、武家屋敷の庭はみかん畑に替わった。農地利用されたことによって、幸か不幸か城下町の土地開発が進まず、それが結果として江戸の町並みを現在に残すことになったのだという。
 何だか皮肉な話ではある。
 甘い匂いを漂わせ可憐に咲く小さな白い花も、その歴史に思いを馳せると武士の無念をその内に秘めているようにも見え、何やら薄ら寒い感じがしなくもないのだった。
 不意にわらわらと、人の気配。角を曲がると、観光ツアーの老人集団が、旗を掲げたガイドさんに率いられて狭い路地いっぱいに広がって歩いていた。「まぁ〜キレイ」「これは絵になるねぇ」バシャバシャバシャ----。みながみな、首や肩からぶら下げた高級カメラを構え、同じ風景、同じアングルを高速シャッターで撮りまくる。
 慌てて細い路地を折れ、喧噪から逃がれるように歩を進めた。
 額の生え際に溜まった汗が、つつと流れて眼に入った。
 立ち止まり、袖で拭いて顔を上げると、夏みかんの花が一輪、眼の高さのところにあった。
 白壁に照り返した陽光を受け、きらりと光った気がした。
 角を曲がる。
 左右を土塀に囲まれた狭い道に出た。突き当たり、曲がるとどこまでも同じ道。横に逸れても変わらない。ぐるぐるぐると行ったり来たり----。道路の先には逃げ水が、どこまで追っても逃げてゆくのだった。暑い----。ぐらりと目眩がした。
 尻のポケットからくしゃくしゃの地図を取り出して見る。
 「鍵曲」
 注釈にはこう書いてあった。
「城下に進入した敵を迷わせ、追い詰めるために土塀で囲んだ道」
 路地を吹き抜ける風に乗って、白い花の妖艶な香りが、背後からどこまでもついてきた。

(2004年6月30日発行『TALEMARKETvol.18』より)




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