Sketch Notes03
旅の雑記帳


島根県隠岐島








 たとえばこの一文は、島根県隠岐郡西ノ島の木賃宿の一室で書いている。
 十月十五日、午前四時五十三分。
 くしゃみ一つで目が覚めたのは、夜半三時を回った頃のことだ。それからまんじりともせず、右に左、上へ下へと寝返りを繰り返し、気がつけば障子の向こうの空が白み始めている。
 天井からぶら下がる紐を引っ張って豆電球をつける。よっこらしょと起き上がり、煎餅布団の上に胡座をかく。浴衣の上に褞袍を羽織り、首にはタオルを巻いている。
 あと一時間もしたら、宿の主が起き出して朝飯を作り始めるだろう。それより先に、港を出る船が汽笛を鳴らすだろうか。
 柱の古ぼけた温度計は摂氏七度を示している。ぶるるっと身震いをし、褞袍の襟をかき合わせ、立ち上がって巨大なエアコンのスイッチを入れる。ひやっとした風が勢いよく吐き出されてきて、よく見たら冷房機能しかついていないのだった。

*     *     *

 隠岐に来るのはちょうど一年ぶりのことだ。
 昨秋初めて訪ねた折りは、米子空港からプロペラ機に乗っった(テルマVol.10)。このたびは鳥取の境港から、フェリーに乗る。本土から隠岐まで、二等船室二五三〇円。
 隠岐島は大小四つの群島から成り、目的地の西ノ島まで延べ三時間半の船旅。二等船室の大部屋には、あちこちに得体の知れない染みがついている。隅っこに荷物を置いて、横になり備え付けの毛布に包まる。船のエンジンの振動が小刻みに身体を揺らし、何だか脳味噌が痺れるような、アブない気持ち良さを感じる。この日の波は三メートル。時折大きく船体が傾ぐたび、奇声とも悲鳴ともおぼつかない声があちこちから洩れる。沖に出るとさらに風は強く、波は高く、船は大きく揺れる。その時ようやく僕は絨毯の染みの正体に気づいたけれど、あえて考えないようにする。帽子を目深に被り、耳栓をして眠る。
 西ノ島に着いた時には、日が暮れていた。
 港のすぐそばにある竹並旅館に荷物を預け、船着き場に隣接する隠岐観光食堂でミックスフライ定食を食べる。鰺、烏賊、海老と、どれも刺身に使えそうなくらい新鮮なネタが、容赦なくフライにされて出てくる。素材は申し分ないのだけれど、油が古いのか、食べたそばから胸焼けがする。
 宿に戻り襖を開けると、薄っぺらい布団が敷いてある。「お風呂沸いていますよ」と宿の主に言われ、小さな湯舟に膝を抱えて浸かり、あがってきたらすることがなくなってしまった。日本人形とバッタものの掛け軸の隣に、ついでのように置かれた古めかしいテレビは、どこをどうひねっても叩いても、ウンともスンとも言わない。
 Tシャツを重ね着した上に浴衣を羽織り、布団に潜り込む。敷き布団はまるでハムカツみたいな薄さで、すぐに背中が痛くなる。ザラザラごわごわした敷布に身体をこすりつけ、何度も寝返りを打つうちに、やがて眠りに落ちた。

*     *     *

 しんしんと夜気が寝具の隙間から忍び込む。
 くしゃみ一つで目が覚めたのは、夜半三時を回った頃のことだ。
 どこかで鳥が啼いている。鳶かな、いや鴎だろうか、海猫かもしれない----そんなことをつらつらと思いながら、褞袍の襟をかき合わせ、ノートブックにスケッチ的な雑文を書き連ねる。ふと思い立ち、表紙にこう認めてみる。
「旅の雑記帳」
 さっきまで薄ぼんやりと廊下の灯りを映していた障子が、少しずつ白み始めている。
 ぴいぃぃひょろろるるる……。
 ああ、やっぱり鳶だ。その啼き声を聴くともなしに聴いていると、静寂にごうごう……と地鳴りのような音が混じっている。船着き場に船が着いたようだ。
 腕を伸ばし障子を開けると、漆黒に近い群青色の空が、東からほんのり赤く染まり始めている。
 今すぐ薄っぺらい布団をはねのけて、朝焼けの港に出かければ、きっといい写真が撮れるのだろう。
 けぶる朝靄、小さな船影、水面の曳跡??。
 でも、ひどく億劫だ。元来僕は、ものすごく怠け者である。ようよう温まった床から抜け出して、衣服を着替え、カメラを持って靴を履いて外に出るなんていう行動は、よっぽど脅迫的な背景でもない限り、できやしない。
 そうして僕は、自分にこう言い聞かせる。
 どうせ大した写真なんか撮れやしないさ。もうとっくに陽は上っちゃったよ。また今度来た時にでも??。
 掛け布団を頭まで引っ被り、布団の中で丸くなる。
 ぼおぉぉぉ……と呼ぶ汽笛が、微かに聴こえた。

(2004年11月11日発行『TALEMARKETvol.19』より)




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