Sketch Notes08
旅の雑記帳


タイ/チェンマイ








「幸福」について考える時、思い出す一つの旅がある。
 五年前に訪れた、タイの村だ。
 雑誌の取材で赴いたその旅のテーマは、他でもない、「幸福探し」だった。ある団体が行った「農村女性の意識に関する国際比較」調査で、やや興味深い結果が出たのが、そもそものきっかけだった。それによると、日本の女性は現在の生活について、総じて不満度が高いという結果が出たのに対し、タイの女性達は、調査した国の中で最も満足度が高かった。
 タイという国は、ある種の国際的な水準から見れば、必ずしも豊かであるとはいえない。にも関わらず、どうして人々はそれほどまでに満足度が高いのか。幸福感に満ちているのか。人の幸福って一体、どこにあるのだろう----?
 今にして思えば、そんな途方もない探し物の旅だった。
 結論を先に言ってしまえば、家があり、食べ物があり、家族がいて、健康であること----それが幸福なんであると、まあ極めて教科書的かつ予定調和の内容で記事はシャンシャン、となったわけだが、実はこの旅の裏側で、僕には忘れ難い思い出がある。
「ウサギ」という名の少女

 僕達が滞在したのは、タイ北部の都市チェンマイ郊外にあるプラバートという小さな村だった。電気は通っているものの、水道は使われておらず(水道管は一応通っているが、村の人々は「そんな汚いパイプの中の水は気持ち悪くて飲まない」と言って雨水を飲んでいる)、電話もない----そんな村だった。
 僕達が泊めてもらった家に、「タァーイ」と呼ばれる一人の少女がいた。
 タァーイというのはいわば愛称で、「ウサギ」という意味らしい。少女はまだ十一歳だった。
 東南アジアの国々、とりわけ農村部は概してそうだが、子供達はみな一様に屈託がない。特にタイは「微笑みの国」などと称されるように、子供達の眼はびっくりするくらい濁りなく澄んでいて、そうしていつも笑顔がこぼれている。その村の子供達も、そうだった。
 でも、タァーイという少女は違った。
 大家族の中で、子供達の面倒を見て、親の手伝いもよくする模範的な「お姉ちゃん」であり、とりわけ内向的であるとか、陰に籠もっているというわけでは決してないのだが、その少女は、笑うことがなかった。
 タァーイは中学校に通っていて、習いたての英語を少しばかり喋ることができたので、僕は何度か彼女と会話をしてみようと試みた。でも、恥ずかしそうに俯くか、すぐに逃げてしまうのだった。僕達がロケバスに乗って近くの街まで取材に出かける時、子供達は面白がって途中まで追いかけてきたりしたけれど、彼女だけは物陰から一人、見ているだけだった。
 といって、嫌われていたわけではない、と思う。あてがわれた部屋で夜、僕が一人で取材ノートをまとめたりしていると、タァーイはいつの間にか隅っこにちょこんと座っていた。喋るわけでなく、僕と眼を合わせもせず、その場所で黙々と宿題をしたり、本を読んだりしているのだった。

少女の名前 

 旅の終わりに、村の人々がささやかな宴を開いてくれた。
 僕はその時、ライター兼カメラマン兼編集者兼ツアーコンダクター、という無茶苦茶な役回りだったので、早々に引き上げて部屋で荷造りをしながら、スケジュール調整などに追われていた。しばらくするとタァーイがやって来て、隅っこで英語の勉強を始めた。荷造りを終えた僕は、ふと思い立って、ノートの片隅にタァーイの似顔絵を描いて見せた。下手っぴなその絵を彼女はしばらく眺めると、おもむろに僕の手から奪い取り、一言、「似てない」と言った。
 僕は苦笑して、確かに、と言った。
「英語が好きなの?」教科書を指さし訊ねると、タァーイは少し困ったような顔をした。
「将来何になりたい?」
「英語の先生」
「英語が好きなんだね」
 タァーイはちょっと首を傾げると、「別に」と言った。
「じゃあどうして?」
 不思議に思いそう訊ねると、タァーイは何も言わず、しばらく僕の顔を見ていた。いつまでたっても返事が出てこないので、僕が他の質問をしようとした時、
「バンコクに行きたいから」
 一言、そう言った。
 すごく蒸し暑い夜だった。外からは宴の声が聞こえ、部屋の中にはひっきりなしに虫が飛び交い、電灯にぶつかっては床の上に落ちた。タァーイは僕からずいぶん離れた場所に座り、何となく虫を追い払ったり、つぶしたりしていた。
「ねえ」
 僕はほとんど無意識に、話しかけていた。
「ねえ、君はいま幸せ?」
 そう訊ねていた。十一歳の少女に聞くようなことじゃないとわかっていたし、それに九割方、彼女は「わかんない」と答えると思った。
 でも、違った。
 少女は黙って下を向き、それから小さく一度だけ、首を横に振った。
 ちょうどその時、「ティック」というお転婆な妹が、何か喚きながら転がるように部屋に駆け込んできた。タァーイの膝にじゃれつき、その手に握られたままの紙切れを、覗き込もうとした。
 鋭い声が飛んだ。僕は最初、それをタァーイの声だと気づかなかった。
 彼女は似顔絵を自分のポケットにしまうと、ティックの手を取り、立ち上がって何も言わず部屋を出て行った。

 翌朝早く、僕達はその村を後にした。
 ロケバスの中で、通訳の人が何気なく話すのを聞いた。
 タァーイの父親は四年前、彼女が七歳の時に亡くなっていた。いま家にいるのは、彼女の母親の再婚相手だった。
 タァーイがどうして毎晩、僕の部屋にやって来たのか、僕はその時ようやくわかった気がした。
 いまの父親は、ひどい酒飲みだった。僕達が滞在している間も、毎晩のように酒を飲んでは騒ぎ、そうしてしきりに「チャンスダー」「チャンスダー」と大声で言っていた。
 チャンスダー。
 それは、タァーイの本当の名前だった。

 雑誌でこの旅のルポを書いた時、僕はタァーイのことについてはほとんど触れなかった。
 幸福探しの旅の帰結に、村の老婆が言った「家族がいて、寝る場所があって、食べるものがある。それが幸せだよ」という台詞を引用した後、こんな言葉で文を結んでいた。
 ----さて、あなたは今、幸福ですか。
 だけど本当は僕自身、何が幸福かなんて、ひとつもわかっちゃいない。

(2005年10月20日発行『TALEMARKET』vol.26より)




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