wayside
某処某人03



2002年
岡山県岡山市








飛行機は、滑走路をひとしきりのろのろと進んでから、ぐるっとUターンしてピットへ引き返した。
「ただいま着陸装置に異常が発見されました。点検作業を行いますので、そのままお待ち下さい」
それなりに緊張していなくもない口調のアナウンスがあり、そう言われると何だかみじろぎもせずに待っていなくちゃいけないような気がして、じっと座って40分待っていたのだった。
結局、別の飛行機で飛ぶことになった。
ま、別に急ぐ旅でなし----と大きく構えたいところだが、実は急ぎの旅だった。
「携帯電話をご使用になりたいお客様は、前方ドア付近でお願いいたします」
ということなので、通路を抜けてドアにたどり着くと、ケータイ片手の背広姿がわんさとひしめき合っていて、飛行機のエンジン音に負けじとみんながみんな、わーわーとがなりたてているのだった。
まるで駅のホームの喫煙所みたいな感じで、何だかこの輪に交じってわーわーやるのは気が引けて、結局いそいそと座席に戻ったのだった。
「ケータイがなかったら、こんな時にっちもさっちもいかなかったねえ。便利な時代になったねえ」
と、隣の席の50代男性は、変なところで感慨深げなのである。
「新しい飛行機の準備ができましたので、バスにてご案内いたします」
そう言われて、ぞろぞろとバスに乗って大移動した先は、50メートル先の飛行機。こういう時間稼ぎのやり方ってどうなのかなあ、とか何とかぶつくさ言っている間に、飛行機はよいしょと飛び上がったのだった。
結局、取材に遅刻するわ、テンションは上がらないわ、天気は悪いわ(これは関係ありませんね)で、過去ワースト3に入るような一日になってしまった。
それでも何でも切り上げて、ちょっと早めの夕食をJR岡山駅東口、パチンコ屋の裏通りにある駅前食堂「つるや」でとった。
カツ、コロッケ、カキフライ、エビフライ、煮物にハンバーグに焼き魚と、30種類以上の総菜が棚にずらりと並んでいた。空きっ腹にはどれもこれも旨そうで、今夜の夕食はタケノコの炊きものにおから、白子の煮付け、肉うどんで、しめて860円。
店内を見渡すと、背広姿のお父さん達が、壁に取り付けられた小さなテレビを見上げ見上げ、メシを食っている。銭湯帰りのおばちゃんが、隣に洗面器を置いて、ビールをぐいっとあおってる。
総菜はどれも甘ったるくて、種類は違うのになぜかみんな同じ味で、季節はずれのハエが1匹、いくら追い払ってもうるさくたかってきて、このやろうと手を振ったら、食べかけの肉うどんのドンブリの中にぽとりと落ちた。
「天気は西から下り坂。明日も1日雨でしょう」
安宿の部屋に戻って、さっさと寝ることにした。


路面電車が走る街の景色が好きだ。僕の生まれ育った土地にはそういうものがなかったから、郷愁ではないと思うけれど、何だか好きなのである。
そういうわけで、翌日は日暮れて、勤め帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦の方々に混じって、路面電車に乗ることにした。
岡山の路面電車は東山行きと清輝橋行きの2方面に分かれ、料金は140円。
清輝橋行きに乗り、田町の駅で降りると、雨がびしょびしょ降っていた。
どうもこの旅は、雨にたたられっぱなしなのである。
田町、新西大寺町界隈は、岡山随一の繁華街。
濡れた舗道にネオンが跳ねていた。
宿で借りた透明のビニール傘をさして、狭い路地をカメラが濡れないように猫背で歩く。
これからご出勤のおネエさん達を送るタクシーがひっきりなしに行き交い、弁当、サラダ、味噌汁を載せた盆を持った仕出し屋さんがせわしなく通り過ぎ、背広や作業服、ジャージ姿で年齢も職業も階級もまったく違うけど、目的はそんなに違わない男達が、固まりになって雑居ビルの中に消えていく。
「どこにいるのお? 早く来てよおー。えー聞こえなーい! お好み焼きいー? 匂いつくからやだあ」
ピンクのツーピースを来たおネエさんがビルの吹き抜けのロビーでケータイに向かって嬌声を上げていて、パンツまで見えそうな深いスリットの入ったチャイナドレスを着たおネエさんが父親みたいな男と腕を組んで歩いていて、真っ赤なドレスを着たおネエさんがタクシーを降りるなり傘もささずにすごい勢いで駆け出していった。
この時間にしては珍しく営業している喫茶店を見つけ、ちょいとひと休みとドアを開けると、店員五人に客はゼロ。怪訝な顔でこちらを向き、みんながとりあえず「いらっしゃいませ」と、ばらばらに言った。
どうやらこの店、夜はもっぱらおネエさん達への仕出し弁当が中心のようなのだ。すいませんねえ忙しい時間に……隅の席で小さくなりながら、コーヒーを注文した。
店の前にある煙草の自動販売機では、出勤前のおネエさん達が緑色のパッケージをやたらと買っていく。お、あのセブンスターはお客さんのかな、さすがにハイライトを買うコはいないねえ、とか何とかぶつくさ独りごちながら、店の外を眺めて、味も匂いもしない色付き湯みたいなコーヒーをすすっていた。
いかにも同伴出勤でーすという感じのカップルが行き過ぎる。喫茶店の店員がサンドウィッチを載せた盆を持って、向かいのビルに走って行く。店の中も外も忙しそうだ。
雨はまだ降り続いている。
そそくさとコーヒーを飲み干して立ち上がった。
もう一回りしてから帰るかと、一歩外に出た途端、雨と食い物と化粧と香水の匂いに、視界が一瞬ぐらりと揺れた。
思えば今回の旅は、いきなり飛行機の故障という、国内線では滅多に遭遇できない危険な場面から始まった。
夜は夜とて、呼び込みや酔いどれ、待たされ続けでイラついている運転手などがうろついている繁華街で、こんなふうにカメラを持ってふらふらしていたりすると、絡まれることなどもたびたびあって、それなりに「危険」がなくもない。
そこで、今日のお言葉。

Life is a very dangerous business.
I mean,walking across the road is dangerous.
Richard Burton in "Brief Encounter"(1975)
人生とはとても危険なものです。つまるところ、道を横切ることだって、危険なのです。

映画『逢いびき』で、リチャード・バートン演じる中年医師のアレックが言う台詞です。
互いに伴侶がいる身でありながら逢瀬を重ねることに、ヒロインのアンナ(ソフィア・ローレン)が、「何かしてはいけない危険なことをしているみたいで、罪の意識を感じるわ」と言ったのに対して、アレックが返す言葉。
すごい理屈のすり替えだなーという感想はまあこの際置いておくとして、人生とはかように危険なものであるとーー。
とくにこんな仕事をしていると、地味な取材ばかり続けているつもりでも、結構いろんな種類の危険に出くわすことがあったりする。
でも、アレックとアンナのような「危険」な出会いというやつには、誠に残念ながらいまだ遭遇したためしがないのである。
(2003年3月1日発行『某処某人3』より)




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